ダイコンの雑記帳

くだらないことをつらつらと.

まじめな話

おふざけのはなし

どうでもいい話をするときは得てして語尾にいらぬ言葉がつくものでございます。無駄に丁寧な言い回しをしてみたり、「思います」とか「と考えます」とかを語尾につけたりすることで、中身の薄い話も長く書くことができるのです。この手法はレポートで大変お世話になりましたが、まじめな話をするときには向きません。ごあいさつの文では長ったらしい口調で執筆いたしました。今回はブログをはじめようと思ったまじめな方の理由について、書かせていただきます。少々重い話ですのでお気をつけて。


祖母が末期がんになりました

ブログを書こうと思った理由のひとつがこれです。1年ほど前、同居している祖母が末期のがんと診断され、闘病生活を続けています。一昨年の12月、祖母が胆管出血によって緊急入院しました。C型肝炎を患っていた祖母は元々あまり肝機能がよくなく、肝臓がんでもあったのですが、一昨年の入院以降、がんのステージが最終段階のステージⅣに移行しました。それからは自宅から週に1回ほど病院に通い、短い入院を繰り返しながらも、入院で落ちた体力を戻そうと頑張っていました。

去年の8月ごろからは入院することもなく、安心していた矢先、年末に吐血が起こり再び入院しました。年が明ける前に何とか退院したのですが、祖母にはもはや抗がん剤や患部の切除という根本的ながん治療をできる体力はないということで、本人の意向もあって緩和ケアをすることになりました。緩和ケアになってからはそれほど長くは生きていられないということで、年明け以降は様子を見に行く頻度を増やしたり、長めに祖母と話したりと、残り短い祖母の寿命の中で少しでも多くの時間を祖母と過ごせるように生活していました。

あと半年くらいは祖母も生きているだろうと思っていた僕の認識はとても甘かったということを、すぐ後に思い知らされます。先週の金曜日の午前3時ごろ、祖母が腹痛を訴え、さらに吐血をしたため入院することになりました。吐血はおさまり、コミュニケーションが取れるまでには回復したようですが、肝臓の状況は以前にもまして悪くなっており、これからはホスピスに転院するそうです。今日両親から、祖母はあと半月ほどの命だと考えておいたほうがいいと伝えられました。京都府コロナウイルスの感染者数が100を超える中で、感染対策に厳しい病院では祖母に会うこともできないため、ホスピスに転院して会いに行こうということだそうです。しかしそのホスピスも、感染対策のため2人まででしか会いに行くことができません。以前のように家族全員が集まることは出来ないのです。

本来ならば緩和ケアの中で祖母がどのように過ごしているのかとか、わたしや家族がどのように接しているかとかを書きたいと思っていたこのブログですが、もうそれも書くことができなくなってしまいました。過去のことを思い出してみれば、血がつながている人が亡くなったという経験は人生の中で1度、それも小学生の時に経験したことです。曾祖父がなくなったときでした。当時のことはあまり覚えていないのですが、半年に1度会う程度だったので曾祖父の死が悲しかったかといえば、あまり悲しく感じていなかったように思います。生まれてからずっと共に暮らしてきた人が亡くなるという経験はこれがはじめてです。その時が訪れたら私はちゃんと悲しめるのかというのが少し怖いです。家族が死んでも何も感じないのではないかと。ですからいま感じていることを残すためにも、文章を書こうと思います。祖母にあと何回会えるかは分かりませんが、あったときに感じたことを少しでも形に残せればと思います。


そんなわけで、はじめに雑記とは言いましたが、何でもありなので重めの話も書きます。楽しい話も書きます。気の向くままに書いていければと思います。私の感情の吐き出しに付き合っていただける方は、どうぞ宜しくお願い致します。